個人の邸宅だったとは思えない広い庭に瀟洒な洋館は見学可能 ♪ 作家山本有三氏について学べます! ☆三鷹市 山本有三記念館
こんにちは。
当ブログにお立ち寄りくださいまして有り難うございます。
『路傍の石』で有名な作家山本有三氏が家族と暮らした洋館が、東京は三鷹市に遺されていると知り先日訪ねてきました。
JR中央線の三鷹駅から玉川上水に沿って歩くこと約10分の場所にそれはあります。
メルヘンチックな白い門の先にお洒落な洋館が現れます。
門の前にありますこちらの大きな石は、作品名に因んでいつしか「路傍の石」と呼ばれるようになったそうです。
洋館の横を進めば庭園に通じており、山本有三氏が執筆の傍ら散歩を楽しんだという庭園を見学することができます。
池あり竹林あり東屋ありで、とても個人が所有していたとは思えない緑豊かな見事な庭園です。
晴れた日にはベンチに腰掛けボ〜ッとしたら気分も爽快でしょうね。
こちらは東屋からの眺めです。
すごくのんびりしちゃいます♪
庭園と建物外観だけならば無料で見学できます。
今回は館内も見学してきました♪
中世ヨーロッパの古城を思わせる造りの洋館で、こちらが入口ですが扉がやはり西洋のお城風?!
入るとすぐ右手に受付があります。
入館料は300円です。
受付の後ろの小さなスペースは、「イングルヌック」といって、スコットランド古語で「暖かく居心地が良い場所」という意味なんだそうです。
実際に暖炉があって、左右の壁には作り付けの椅子もあるので、暖かく居心地の良い場所だったと思います。
先ずは展示室Aから見ていきます。
暖炉があり広々としております。
奥の応接間から入口を見た感じです。
ガイドさんの説明によりますとこの部屋の照明だけが唯一竣工当時からのものなんだとか。
そもそもこの洋館は、大学教授や商社役員も務めた清田龍之助氏が、大正時代末期の1926年に建てて暮らした建物なんだそうです。
その後1936年に山本有三氏が購入し10年間家族と暮らしましたが、太平洋戦争で敗戦となると1946年に進駐軍により接収されてしまいました。
接収解除後は国立国語研究所三鷹分室となった後、1953年に山本氏に返却されました。
しかし、映像の解説によりますと返却後はかなり手が加えられていたようで、山本氏は一度も住むことはなかったそうです。
その後、土地と共に東京都に寄贈され、1985年には三鷹市に移管。
1994年に三鷹市有形文化財に指定され、1996年に「三鷹市山本有三記念館」として開館し今に至っています。
接収や改修工事で当時からのものはこの八角形の照明だけになっちゃったそうです。
広い部屋に見えますが、元は手前が食堂で奥が応接間となっていたそうです。
床板の張り方の違いにその名残が見られます。
応接間にあたる部屋の先には応接スペースがあります。
残念ながら訪問日は天気が悪かったため暗いですが、天気が良ければ日が差し込んで明るいことでしょうね。
こちらはアーチ形の壁がお洒落な展示室B、長女の部屋です。
映像で建物の歴史が紹介されておりました。
青色が目を引くこちらの椅子とテーブルは素敵です。
長女さんは、お友達と庭を眺めながら楽しい時間を過ごされたことでしょうね。
続いて赤い絨毯が敷かれた見事な階段を上がって2階を見学します。
2階から見ると、天井は真っ平ではなく少し山状の造りになっているのが分かります。
2階には展示室CからFがありまして、山本有三氏の作家の遍歴がたくさんの資料と共に紹介されておりました。
2階の真ん中の部屋は、この洋館で唯一の和室です。
竣工時は洋間だったそうですが、山本氏が数寄屋風に造り変えて書斎として使っていたのだそう。
老舗の和風旅館のようで素敵な和室です。
『路傍の石』もこの部屋で執筆されたんでしょうかね。
山本氏が着用した背広上下や眼鏡、書道用具や箪笥も展示されています。
こちらの展示室Eは「子ども向け絵本閲覧スペース」となっていてお子様も楽しめます。
クイズもあります。
2問目の答えだけは、最初の方に上げた写真の中にあります!
いくつかの部屋にはご覧のように高さの低い作り付けの椅子がありまして、こちらは実際に座って大丈夫だそうです。
素敵な洋館、いかがでしたか?
三鷹周辺まで来ることがあったら是非立ち寄ってみてください。
最後までお付き合い頂きまして有り難うございました。
○●○ 山本有三記念館 ○●○
住所:〒181-0013
東京都 三鷹市 下連雀 2ー12
電話:0422-42-6233
開館時間:午前9時30分〜午後5時
入館料:300円
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、翌日と翌々日を休館)
年末年始(12月29日~1月4日)
HP:https://mitaka-sportsandculture.or.jp/yuzo/