東急大井町線で走っていたっけ、5200系 “湯たんぽ” ! 今では主流の “ステンレスカー” は65年前の今日誕生しました!
こんばんは。
当ブログにお立ち寄りくださいまして有り難うございます。
早いもので今日から12月です。
12月の異称である「師走」は、「お坊様も走り回るほど忙しい季節だから “師走” と言います!」
と教わったのは、まだ小学3年生の道徳の時間。
しかし、大学は文学部国文学科に進めば
「元々はその年が終わることで “年果つ(としはつ)” と言われ、それが “しはす” となった」
のだと教えてくださったのは、中世文学の講義だったか、近代文学の講義だったか……。
謂れは色々あるようですが、いずれにせよ今年も残り31日となってしまった訳であります!
何もせずにまた1年経過か……。
月日の流れは早いもので、ため息ばかりです。
さて、今日は
「ステンレスカーが誕生して65年」
の日なんです。
東京は世田谷生まれで世田谷育ちの私は幼少期から東急電鉄を利用しておりました。
まだ「田園都市線」が渋谷駅〜二子玉川駅間は「新玉川線」という呼称だった頃、よく二子玉川駅まで電車を見に出かけたものです。
当時はまだ「二子玉川 “園” 駅」だったのも懐かしい話です。
その頃に東急大井町線で活躍していたのが写真の5200系。
緑色の5000系中間車を1輌挟んで5輌編成で走っておりました。
今とは違ってカメラは高級品で、当時まだ子供だった私はカメラなんて貸してもらえず、悲しいかな、手元には自分で撮った5200系の写真はありません。
写真は自分のコレクションである絵葉書からです。
そんな5200系が営業運転を開始したのが65年前の1958年12月1日。
これが外板だけですが、ステンレス鋼を使用した我が国初のステンレスカーだったということで、今日はステンレスカーが誕生して65年目の日なんです。
この車両、一度上田交通に譲渡されて長閑な田園地帯を走った後で1輌が里帰りをし、現在は横浜市にあります株式会社総合車両製作所の敷地内に保存されています。
また、2012年には日本機械学会から機械遺産の認定も受けています。
ただ、一般に公開がされていないのが残念です。
将来的に、大手私鉄各社が車輌基地を公開してくれているように一年に一日でもいいので一般公開日を設けて頂けると嬉しいかな……と思っているのは私だけではないと思います。
最後までお付き合い頂きまして有り難うございました。